2020-12-03 第203回国会 衆議院 憲法審査会 第4号
経験した者から発言をされましたが、じゃ、辻元さん、辻元委員、山本太郎さんや大阪自民党の政務官やあるいは共産党がそのデマの数字を掲げて住民投票に取り組んだことについてはどう思われますか。答えて終わってください。
経験した者から発言をされましたが、じゃ、辻元さん、辻元委員、山本太郎さんや大阪自民党の政務官やあるいは共産党がそのデマの数字を掲げて住民投票に取り組んだことについてはどう思われますか。答えて終わってください。
今後、憲法改正等々で国民投票なども行われる、住民投票もいろいろ全国各地である中で、新聞というメディアが角度を付けて一定方向に世論を誘導するような報道がまかり通ってしまえば、そして人々がそれを信じてしまえば、何度投票をやっても正しい結果は生まれないわけですから、この毎日新聞の今回の報道に、野党のみならず、一部の大阪自民党の方の一部が乗っかっていったということも、非常に私はこの日本の社会にとって危惧すべき
今回の住民投票は、結果は厳粛に受けとめるが、憲法改正の国民投票のことも考え、これからも岡下政務官始め大阪自民党の不正については追及を続けることをお誓いして、質問を終わります。 ありがとうございます。(発言する者あり)
それも、政府に入っていらっしゃる大阪自民党の政務官たちが、こうやって、この毎日新聞を街頭のつじつじに掲げて終盤戦を戦ったんですね。 自民党は天下の自民党だし、私は、日本維新の会あるいは大阪が日本のもう一つの翼になるべきだ、日本にはもう一つの翼が必要ですということを地元で訴えています。
それを、大阪自民党が大阪市民をたぶらかして、だって、こんな情報で選挙をやったんですよ。 で、その情報については、ちょうどきょうの毎日新聞が、ちょっと紹介しておくと、皆さん、私たちがなぜこの住民投票にこだわるかというと、いずれ憲法改正するんでしょう、自民党の皆さん。ねえ、大臣。憲法改正やりましょうよ。私の友人である玉木雄一郎代表も前向きに検討してくれているおかげで、少し空気が変わってきました。
ところが、その大都市法の制定をリードした大阪自民党は、五年前の住民投票で共産党と反対をし、その結果、〇・八%の僅差で否決をされました。 自民党府議団、市議団は、十一月に予定される住民投票においても、維新の会や公明党と一線を画し、既に共産党と反対する方針と承知しています。大都市法を適用するに値する最たる大都市が大阪でなくて、どこだというのでしょうか。
○足立委員 もう時間ですので、総理、官房長官にまた大阪自民党を御指導いただくようお願いして、質問を終わります。 ありがとうございます。
しかし、こうした住民自治強化に大阪自民党のみならず左派政党がこぞって反対しているのは、滑稽で仕方ありません。 また、総合区では二重行政が温存されますが、特別区では、指定都市と道府県とがそれぞれ担っている広域行政に係る意思決定を一元化することができるので、二重行政が解消され、大都市行政の司令塔が一本化されます。
国民の皆さんが今回の件について……(発言する者あり)いやいや、インターネットの書き込みは大阪自民党の批判をされているんですよね。それを印象操作だと言うのは、私は、国民が皆さんに声を届けているものを印象操作だと一言で断じることはおかしいと思っています。それは言っておきたいと思います。 ただ、とはいうものの、さっきも言いましたけれども、これはやはり大事な歴史戦です。
実は、きょうの原稿には、民進党という文字が二カ所、大阪自民党という文字が三カ所、合計五カ所あったんですけれども、全て国対に削除されまして、若干のっぺらとした原稿になってやりました。
ただ、政治手法においては、地元の大阪自民党がいろいろな思いを持っているのは事実でありますし、私も政党所属でありますから、大阪の自民党の方々の意見も聞いているところでありますが、政策的には大変評価しているというふうに思っております。
しかし、大阪自民党は、この足を引っ張り続け、安倍政権の成長戦略に沿った上下水道や地下鉄などの公営企業体の民営化にも強く反対しています。(発言する者あり)
まあ、それでその後のフォローが我々としても甘かったなということを非常に反省しておりますし、実は今年の四月の統一地方選のときに大阪自民党は、関西州に向けてのロードマップというのを出したんですね。 ただ、今回それを主張できなかった原因は、最大の相乗り候補である民主党が、道州制に対するスタンスがはっきりしていないんですよ。
私の経験から申し上げますと、私が大阪市議会議員として地方議会の選挙に立候補したときは、大阪自民党府連本部は公認してくれましたが、選挙区の支部では認められず、苦労して当選はしました。しかし、大阪市長は、指定都市初めての革新市長が誕生して、少数自民党、しかも野党議員というのが私の政治生活のスタートでございました。